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最高の奇跡

HIV:生後すぐに感染の米青年、パパになれたよ 偏見と闘い「最高の奇跡」

◇川田龍平さん「勇気もらった」
「日本のみなさんへ。ぼくは今とても幸せです」。生後2日目の輸血でエイズウイルス(HIV)に感染し、実名でエイズへの理解を求めてきた米国人のジョナサン・スウェインさん(21)が結婚し、男児が生まれた。
93~95年に計3回来日、日本人と交流を深めたジョナサンさん。東京HIV訴訟の原告、川田龍平さん(29)が名前を公表するきっかけも作った。偏見と闘いながら家庭を築いた歩みが本となって21日、日本で出版される。川田さんは「改めて勇気づけられた」と話している。

ジョナサンさんは83年3月、米・コロラド州に生まれた。約1800グラムしかない未熟児で、敗血症を起こし輸血。その中にHIVに汚染された血液があった。2年後に感染が判明し、同州で初めてのHIV感染者と騒がれ、小学校入学拒否などの差別、偏見に遭う。

92年に「ぼくはジョナサン…エイズなの」という本が出て、日米などで大反響を呼んだ。日本では93年、「ジョナサン君の会」ができ交流運動が始まった。94年の2回目の来日の際、小学5年生ながら集会で堂々とエイズについて話すジョナサンさんを見て、血友病治療で使用した非加熱製剤でHIVに感染した川田さんは「自分も何かできるのではないか」と励まされ、95年3月、実名公表に踏み切った。

◇妻子は非感染
薬でHIVと闘いながら、コックとなったジョナサンさんは04年1月、恋人の妊娠を知り、6月結婚、7月に男児が生まれた。コンドームが破れての妊娠で、当初は妻子がHIVに感染していないかとの恐怖に震えたが、妻子とも感染はなかった。新刊は「父親になったジョナサン」(大月書店)で、男児の誕生などを特集した地元新聞をもとに日本で再編集した。

HIV感染に加え、両親の離婚、麻薬がらみの母親逮捕など苦労を重ねた。披露宴で妻の姉の一人が、ジョナサンさんが料理するなら出席しないと言うなど差別は今も根強い。それでも10歳の誕生日に願った「20歳まで生きられますように」との思いはかない、子供の誕生は「奇跡の中の最高の奇跡だ」と喜ぶ。

本の巻頭には「日本のエイズ患者のみなさん、そしてエイズではなくても様々な苦しみとたたかっているみなさん、どうかポジティブ(前向き)でいてください」というメッセージを載せた。

名前を公表し来月で10年となる川田さんは現在、松本大学で非常勤講師を務める。ジョナサンさんの奮闘ぶりに「薬害エイズのような被害を二度と繰り返させないため、私も若い人たちに経験をもっと伝えていきたい」と話している。

(出典:毎日新聞)


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